カナダのオンタリオ州議会が「南京大虐殺記念日」制定の法案 反対の署名活動も中国系多数で成立か
【歴史戦】
カナダのオンタリオ州議会が「南京大虐殺記念日」制定の法案 反対の署名活動も中国系多数で成立か
http://www.sankei.com/politics/news/170202/plt1702020003-n1.html
2017.2.2 05:00
カナダ東部オンタリオ州議会が12月13日を「南京大虐殺記念日」に制定する法案を審議していることが分かった。昨年12月上旬に香港出身の中国系カナダ人議員が法案を提出した。制定反対の署名集めも行われているが、同州は中国系人口が集中しており、成立する可能性が高い。今年は南京事件から80周年にあたることから、記念日が制定されれば「旧日本軍の残虐性」などをアピールする行事が開かれる可能性がある。
法案は「オンタリオの人たちはアジアで起きた第二次大戦の残虐行為を深く議論し、検証する機会がなかった。南京大虐殺の変わらぬ教訓について学ぶことは重要だ」と指摘。記念日制定については「日本軍の南京占領で20万人以上の中国人市民と兵士が無差別に殺害された南京大虐殺の犠牲者を追悼し、遺族に敬意を払う機会を提供する」と明記している。
法案提出議員による昨年12月8日の趣旨説明の際は賛成意見が相次いだ。韓国系議員は「日本軍は約30万人の中国人を冷酷に虐殺し、下は10歳以下、上は80歳以上の中国人女性と子供2万人以上をレイプした」「人類史上、最も大規模で非人道的虐殺の一つだった」など、誇張した数字を挙げて賛意を表明した。
こうした動きに対し、現地の日系文化会館が中心になって記念日制定に反対する署名活動を始めた。国籍などは問わず、同州に6カ月以上居住している人なら誰でも署名できる。2月15日までに署名を集め、ウィン州首相に提出する方針。昨年12月上旬に香港出身の中国系カナダ人議員が12月13日を「南京大虐殺記念日」に制定する法案を提出し、オンタリオ州議会が審議していることが分かった。
制定反対の署名集めも行われているが、オンタリオ州は中国系人口が集中しており、成立する可能性が高い。
12月13日を「南京大虐殺記念日」と制定されては堪らない。
南京大虐殺はなかった。
1938年に蒋介石が日本が南京大虐殺をしたとやたら宣伝したが、世界の国は無視した。
何故かと言えば、そんなことはなかったからです。
歴史捏造です。
中国人部隊による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺があった通州事件は実際に起こったことです。
日本は「通州事件」を世界記憶遺産に登録しましょう。南京大虐殺は捏造だった/自虐史観払拭 中国が捏造している南京大虐殺は、通州事件を南京大虐殺と話をすり替えています。通州事件
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=43046227
通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺を指す。
通州は、北平(現:北京市)の東約12kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、冀東防共自治政府が置かれていた。また、北京議定書に基づき、欧米列強同様に日本軍が邦人居留民保護の目的で駐留していた。
1937年7月7日に中国軍による駐留日本軍(この部隊は元々、通州に配置されようとした際に、梅津美治郎陸軍省事務次官が京津線から離れた通州への配置は北京議定書の趣旨では認められないと強く反対したために代わりに北京西北の豊台に配置された部隊であった[1])への銃撃に端を発した盧溝橋事件が勃発し、まもなく停戦協定が結ばれたが、7月25日に再び日本軍への銃撃事件が引き起こされ(廊坊事件)、続く7月26日にも日本軍への攻撃が繰り返された(広安門事件)。7月28日、日本軍は華北攻撃開始。7月29日、約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。
冀東防共自治政府保安隊が通州事件を起こした原因としては以下の3つの説が存在している。
日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎を誤爆したことへの報復だったとする説[2](ただし、誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している[3]) 。
中国国民党軍が冀東防共自治政府保安隊を寝返らせるため、ラジオで「日本が大敗した」と虚偽の放送をおこない、冀東保安隊がそれに踊らされたという説[3][4]。
1986年に公表された冀東保安隊長・張慶餘の回想録や、中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、張慶餘、張硯田の両隊長は、中国国民党第29軍とかねてから接触。「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、中国国民党と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものとする説[5]。
また、当時大使館付陸軍武官補佐官であった今井武夫は、「もっともこれは単に通州だけに突発した事件ではなく、かねて冀察第二十九軍軍長宋哲元の命令に基づき、華北各地の保安隊がほとんど全部、29日午前2時を期して、一斉に蜂起し、日本側を攻撃したものである」と述べている[6]。
主犯の張慶餘は通州事件後は中国国民党軍に属し、最終的に中将まで昇格している[7]。
なお、中国側では「抗日蜂起」とも言われる。
影響等 [編集]
「通州虐殺事件」
日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が同盟通信を通じて日本全国に報道されると、日本の対支感情は著しく悪化した[8]。 これは、既に7月7日生じたあと現地で解決されていた日本軍と国民党の武力衝突につき、感情論に任せたなし崩し的戦線拡大を招いた。
近年ではこの事件に対する報道は日中両国で皆無であり、歴史の闇に消えようとしている。中国政府公式対外宣伝刊行物の『南京大虐殺写真集』の目次では『盧溝橋にて「北支事変」勃発、日本は華北を侵略する。日本軍は第二次上海事変を起こし、上海へ出兵する。』と述べており、この事件については一切触れられていない。
戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、弁護団は通州事件について、外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。
生存者の証言・記述 [編集]
九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います。」[9]。
吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された者が、中国人看護婦により自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。父は医院を開業していたが、保安隊が襲う直前に遺書を書き中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという。[10]外部リンク[11]には家族の実名が出ている。支那 通州事件の記録写真と南京大虐殺の捏造.通州事件の真実 01 Sさんの体験談 1-5
posted by hazuki at 10:38|
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