2018年08月09日

[訃報] 沖縄県の翁長雄志知事が逝去 辺野古移設に反対貫く

[訃報] 沖縄県の翁長雄志知事が逝去 辺野古移設に反対貫く

訃報:沖縄県の翁長雄志知事が死去 辺野古移設に反対貫く
https://mainichi.jp/articles/20180809/k00/00m/040/067000c
毎日新聞2018年8月8日 20時04分(最終更新 8月8日 23時53分)

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に反対し、膵(すい)がんの治療を受けながら公務を続けてきた沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が8日、同県浦添市内の病院で死去した。67歳。今年5月にがんを公表し、治療を続けていたが、7日に容体が急変した。

知事選は11月から9月へ

知事選は任期満了に伴い11月18日投開票の予定だったが、9月中に実施される見通し。葬儀日程などは未定。7月27日に前知事による辺野古の埋め立て承認を撤回すると表明するなど、一貫して移設計画に反対してきた翁長知事の死去は移設計画の行方にも影響しそうだ。

 8日夕に県庁で記者会見した謝花(じゃはな)喜一郎副知事の説明などによると、翁長知事は7月30日から浦添市内の病院に入院して治療を受けてきたが、肝臓にもがんが転移し、今月7日に急変した。謝花副知事は会見で知事の意識が混濁していることを明らかにしたが、その約1時間半後に亡くなった。

翁長知事は辺野古移設に反対して2014年11月の知事選で初当選。今年4月に膵臓に腫瘍が見つかり、切除手術。5月に退院した後も体調を見ながら公務を続け、6月23日の「沖縄慰霊の日」の追悼式では「20年以上も前に合意した辺野古移設が唯一の解決策と言えるのか。日米両政府は計画を見直すべきではないか」と改めて訴えた。ただ知事選への再選出馬は明言していなかった。

1950年、那覇市生まれ。父は真和志市(現在は那覇市)の市長などを、兄は沖縄県副知事などを務めた保守系の政治家一家に生まれ育った。法政大卒業後、那覇市議2期、県議2期。自民党沖縄県連幹事長などを歴任し、沖縄保守政治家のエース的な存在だった。2000年からは那覇市長を4期務めた。

 那覇市長時代の09年の鳩山民主党政権誕生を機に、沖縄の過重な基地負担への批判を強め、かつての辺野古移設容認から県外移設主張に転換。12年9月の米軍新型輸送機オスプレイの配備に反対する超党派の県民大会では共同代表に就き、13年1月には県内全41市町村の首長が署名した県内移設断念を求める建白書を政府に提出するなど、保守、革新が一つとなる「オール沖縄」をリードした。

 14年11月の知事選に「オール沖縄」体制で出馬して移設反対を訴え、辺野古の埋め立てを承認した仲井真弘多(なかいまひろかず)知事(当時)を約10万票の大差で破って初当選した。就任後は一貫して移設阻止を掲げ、移設計画を進める政府と対立した。

 15年10月に埋め立て承認を取り消したが、政府が法的な対抗措置を取るなどして法廷闘争に突入。16年12月に埋め立て承認取り消しは違法とする県側敗訴の最高裁判決が確定したため、承認取り消しを撤回した。

総務省選挙課によると、知事の死去から5日以内に職務代理者の副知事が県選管に死亡を通知し、その日から50日以内に知事選が実施される。【遠藤孝康】


翁長雄志・逝去.PNG



米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に反対し、膵がんの治療を受けながら公務を続けてきた沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が8日、同県浦添市内の病院で死去した。
67歳。
ご冥福をお祈り致します。

ラベル:翁長雄志 沖縄県
【関連する記事】
posted by hazuki at 14:37| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。