2017年01月20日

アパホテル書籍で言及の「通州事件」 中国を批判する材料として使用

アパホテル書籍で言及の「通州事件」 中国を批判する材料として使用

アパホテル書籍で言及された「通州事件」の歴史事実
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/post-6773.php
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/post-6773_2.php
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/post-6773_3.php
2017年1月20日(金)15時49分
高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

<アパホテルが中国から批判されているが、問題の書籍では南京大虐殺の否定と並んで通州事件の陰謀説が説かれている。近年「歴史戦」という言葉が取り沙汰されるが、そもそも通州事件とは何か。そして私たちは歴史戦をどのように理解すればいいのか。『通州事件』の著者、広中一成さんに聞いた>

事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。
――藤誠志『本当の日本の歴史 理論近現代史学』より(客室設置の書籍について | 【公式】アパグループ

日本のホテルチェーン、アパグループが中国から批判されている。いわゆるネット炎上事件となったばかりか、中国外交部報道官がコメントするまでに事態は発展している。問題は客室に置かれていた書籍だ。元谷外志雄グループ代表が藤誠志のペンネームで執筆したもので、南京大虐殺の否定や通州事件の陰謀説などが説かれている。

 今回の事件に限らず、南京大虐殺や通州事件をめぐる歴史問題は中国との軋轢を生んできた。近年、日本のインターネットでは「歴史戦」という言葉を見かけることが少なくない。歴史認識問題や領土問題に関する歴史的主張について、中国や韓国のプロパガンダに日本も対抗しなければならないとの意味合いを持つ。

 2015年12月には保守系団体「新しい歴史教科書をつくる会」が通州事件に関する史料を世界記憶遺産に申請すると発表した。中国が申請した南京大虐殺史料の世界記憶遺産登録に反発し、「歴史戦」を挑もうとしているわけだ。

 こうした動きを私たちはどのように理解すればいいのか。約10年もの間、通州事件について研究を続け、昨年12月に著書『通州事件――日中戦争泥沼化への道』(星海社)を出版した広中一成さん(愛知大学国際コミュニケーション学部非常勤講師)に話を聞いた。

――通州事件とはどのような事件だったのでしょうか。

通州事件は日中戦争勃発後の1937年7月29日、北京近郊の通州で起きた冀東防共自治政府保安隊の反乱事件を指します。犠牲者については諸説ありますが、事件後の調査によると、通州に住んでいた日本人と朝鮮人合わせて225人が殺害されました。「中国は南京大虐殺ばかりを宣伝するが、日本人が虐殺された事件もある」「きわめて残忍な手法で殺された。中国人の民族性のあらわれだ」などなど、中国を批判する材料として近年使われるようになりました。

――アパグループの元谷CEOは著書で通州事件はコミンテルンの陰謀だったと指摘されていますね。

 元谷さんのオリジナルではなく、以前からよく言われていた話です。通州事件に限らずどんな歴史的事件にも、不明な部分が多いとユダヤ人やコミンテルンが黒幕だとする陰謀説はつきものなんですが(苦笑)。ただしそれを証明する史料は存在しませんし、コミンテルンが関わったことを示す傍証もないので、現在のところ歴史研究の対象にはなりません。

――著書『通州事件――日中戦争泥沼化への道』は歴史研究者としての抑制的な筆致で、事件の背景、経過、影響を描写していた点が印象的です。既存の通州事件本とは一線を画している印象を受けました。

 通州事件は1980年代になって"再発見"されました。1985年に中国で南京大虐殺記念館がオープンしたことを受け、「それを言うならば中国人も日本人を虐殺したのではないか」と反論するために通州事件が持ち出されたわけです。同時に日本国内では「日本の侵略に抵抗するためだったのだから」と、通州事件を起こした保安隊を擁護する論も登場します。もともとは論壇の中の議論に過ぎませんでしたが、1998年のベストセラー、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論』によって一気に認知度が高まりました。

 通州事件に関連する中国批判と擁護の構図は、1980年代から現在にいたるまでほとんど変化がないと言ってもいいのではないでしょうか。議論が深まればいいのですが、ほとんどが観念論ばかりで一次史料を丹念に調べた人はいません。保守の側から関係者の証言を集める動きはありました。そのこと自体は評価するべきですが、どうしても主観に影響されてしまう証言を歴史史料として扱うためには、他の史料との整合性を確かめる必要があります。

 言い換えるなら、これまで歴史学的な手続きを踏まえた通州事件研究はほとんどなかったのです。日中関係の悪化により通州事件がクローズアップされる機会が増えることは予測できましたので、ちゃんとした歴史学的な研究をする価値はあると考えて取り組みました。非公開史料の収集や分析、現地調査など始めてから10年近い時間がかかってしまいましたが。

「一次史料にとことん当たることが日本の利益になる」

――興味深いのは、事件直後の日本側の報道もプロパガンダの可能性があると指摘されている点です。

 中国側の反日宣伝に日本軍は頭を悩ませていました。通州事件の直前にも日本軍の銃撃で中国の民間人が多数殺されたとか、日本兵が天津租界で外国人兵士を殴打したとかいったデマが流され、日本政府関係者が対応すべきだと提起した史料が残されています。

 通州事件が起きた後には、日本軍の一部で通州事件を中国へのカウンタープロパガンダとして利用できないかという意見が出ました。この意見が採用されたのか、具体的にどのような手法が取られたのかを明示する史料は現時点では見つかっていませんが、当時の日本の新聞がある時点で急に「暴虐」「鬼畜」といったおどろおどろしい表現を使い出したこと、立ち入りが禁止されていた地域でおそらく軍が撮影したと思われる写真を掲載したことなどを考えると、宣伝工作の一環として通州事件が大々的に報道された蓋然性は高いと考えています。

通州事件というと、「首を切り落とした」「目玉をえぐり取られた」「鼻に針金を通した」など日本人がきわめて残虐な手法で殺害されていたとされます。実はこれらの情報は当時の新聞に依拠するもので、東京裁判で元日本兵が、戦後に事件の生存者も、それぞれその新聞報道と同じ内容の証言をしています。確かに当時の現地日本軍の史料にも酷い殺害があったことは記されていますが、首が切り落とされたとか、目玉がえぐられたとかいった記述は、私が見た限りありません。そのため、そのような残虐な殺害が本当にあったのか、あったとしたらどの程度のものだったのか、改めて検証する必要があると考えています。また、通州事件の現場を撮ったという写真も、怪しいものが大半です。

――「歴史戦」という言葉があります。南京大虐殺や慰安婦問題、あるいは尖閣諸島や南シナ海問題を見ても歴史問題が外交の重要な一部となりつつある、そして日本は後手を踏んでいるのではないかという認識を持つ人は多いのではないでしょうか。

そうした次元の話にはあまり深入りするつもりはありません。歴史研究者としては一次史料に基づいた実証研究に取り組み、対象とする出来事がどのような意義があるのかを分析するだけです。

 他の国では歴史が国家のために動員されているというケースもあるでしょう。しかし、それはその国の事情に依るところが大きいのではないでしょうか。それを日本が無条件にお付き合いして、過敏に反応する必要はありません。もちろん、これとは別に日本の戦争責任を認める姿勢は必要です。他国のプロパガンダを真似るのではなく、一次史料にとことん当たるという歴史研究の王道を究めることが最終的には日本にとって利益になると考えています。

*2017年2月10日、広中一成さんが出演するイベント「反日プロパガンダ、歴史戦、あるいは──日中戦争開戦80周年 いまこそ通州事件と南京事件を問い直す」が開催されます。詳細はゲンロンカフェまで。

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


アパホテルの客室に置かれている「理論 近現代史学II」.PNG



ジャーナリストの高口康太さんのコラム。
事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。
既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。
一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。
通州事件は、日中戦争勃発後の1937年7月29日、北京近郊の通州で起きた冀東防共自治政府保安隊の反乱事件を指す。
事件後の調査によると、通州に住んでいた日本人と朝鮮人合わせて225人が殺害された。
「日本人が虐殺された事件もある」など、中国への批判材料に使われるのが通州事件です。
一次史料にとことん当たるという歴史研究の王道を究めることが最終的には日本にとって利益になる。
日本の利益になるように通州事件の史料にとことん当たるべし。
2月10日(金)、広中一成さんが出演するイベント「反日プロパガンダ、歴史戦、あるいは──日中戦争開戦80周年 いまこそ通州事件と南京事件を問い直す」が開催されるとのことです。
19:00 〜 21:30(開場18:00)
辻田真佐憲 × 広中一成
ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20170210/



南京大虐殺は捏造だった/自虐史観払拭


中国が捏造している南京大虐殺は、通州事件を南京大虐殺と話をすり替えています。


通州事件
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=43046227

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺を指す。

通州は、北平(現:北京市)の東約12kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、冀東防共自治政府が置かれていた。また、北京議定書に基づき、欧米列強同様に日本軍が邦人居留民保護の目的で駐留していた。
1937年7月7日に中国軍による駐留日本軍(この部隊は元々、通州に配置されようとした際に、梅津美治郎陸軍省事務次官が京津線から離れた通州への配置は北京議定書の趣旨では認められないと強く反対したために代わりに北京西北の豊台に配置された部隊であった[1])への銃撃に端を発した盧溝橋事件が勃発し、まもなく停戦協定が結ばれたが、7月25日に再び日本軍への銃撃事件が引き起こされ(廊坊事件)、続く7月26日にも日本軍への攻撃が繰り返された(広安門事件)。7月28日、日本軍は華北攻撃開始。7月29日、約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。
冀東防共自治政府保安隊が通州事件を起こした原因としては以下の3つの説が存在している。
日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎を誤爆したことへの報復だったとする説[2](ただし、誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している[3]) 。
中国国民党軍が冀東防共自治政府保安隊を寝返らせるため、ラジオで「日本が大敗した」と虚偽の放送をおこない、冀東保安隊がそれに踊らされたという説[3][4]。
1986年に公表された冀東保安隊長・張慶餘の回想録や、中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、張慶餘、張硯田の両隊長は、中国国民党第29軍とかねてから接触。「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、中国国民党と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものとする説[5]。
また、当時大使館付陸軍武官補佐官であった今井武夫は、「もっともこれは単に通州だけに突発した事件ではなく、かねて冀察第二十九軍軍長宋哲元の命令に基づき、華北各地の保安隊がほとんど全部、29日午前2時を期して、一斉に蜂起し、日本側を攻撃したものである」と述べている[6]。
主犯の張慶餘は通州事件後は中国国民党軍に属し、最終的に中将まで昇格している[7]。
なお、中国側では「抗日蜂起」とも言われる。

影響等 [編集]

「通州虐殺事件」
日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が同盟通信を通じて日本全国に報道されると、日本の対支感情は著しく悪化した[8]。 これは、既に7月7日生じたあと現地で解決されていた日本軍と国民党の武力衝突につき、感情論に任せたなし崩し的戦線拡大を招いた。
近年ではこの事件に対する報道は日中両国で皆無であり、歴史の闇に消えようとしている。中国政府公式対外宣伝刊行物の『南京大虐殺写真集』の目次では『盧溝橋にて「北支事変」勃発、日本は華北を侵略する。日本軍は第二次上海事変を起こし、上海へ出兵する。』と述べており、この事件については一切触れられていない。
戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、弁護団は通州事件について、外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。

生存者の証言・記述 [編集]

九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います。」[9]。
吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された者が、中国人看護婦により自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。父は医院を開業していたが、保安隊が襲う直前に遺書を書き中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという。[10]外部リンク[11]には家族の実名が出ている。


支那 通州事件の記録写真と南京大虐殺の捏造.


通州事件の真実 01 Sさんの体験談 1-5




参考

アパホテルに本の撤去打診 冬季アジア札幌組織委
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/446130800.html

アパホテル「サイトにサイバー攻撃」 中国外務省「歴史歪曲する勢力」と批判
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/446107433.html
ラベル:高口康太
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