2017年01月02日

南京市、なぜ今「日本人向け観光」アピール? 節目の年「観光と歴史問題は矛盾しない」

南京市、なぜ今「日本人向け観光」アピール? 節目の年「観光と歴史問題は矛盾しない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161227-00000003-withnews-int
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161227-00000003-withnews-int&p=2
withnews 1/2(月) 7:00配信

2016年12月、東京都内で中国の南京市による初めての日本人観光客向けのイベントが開催されました。中国の四大古都と呼ばれ、2500年の歴史を持つ南京ですが、日中戦争中には「南京事件」が起きるなど激動の歴史を歩んできました。日本人にとっては、観光というイメージだけではない南京市がなぜ、プロモーションに力を入れるのでしょうか? 来日した関係者に話を聞きました。

【画像】上空から見るとネックレスのような「美齢宮」・中華民国の大統領府…知られざる南京の観光地
「南京豆」「南京錠」「南京玉すだれ」

 南京市は江蘇省の省都で大都市への交通網が整備されています。上海へは300キロメートルという距離にあります。

 「南京豆」「南京錠」「南京玉すだれ」など「南京」がついている単語もあり、日本とは古くから縁がある都市でした。

 三国志で有名な中国の三国時代には、呉の孫権が南京を都にしています。

 その後の南朝・北朝時代には南朝の都だった時期が長く続き、明王朝の都、中華民国の首都でもありました。

 一方、日中戦争中には「南京事件」が起きます。1937年12月13日に旧日本軍が中華民国国民政府の首都だった南京を占領し、捕虜や市民を殺害するなどした事件として知られています。

<南京事件> 1937年12月13日に旧日本軍が中華民国国民政府の首都だった南京を占領し、捕虜や市民を殺害するなどした事件。日本の研究者には犠牲者を4万〜20万人とする見方が多く、中国側は30万人と主張している。ユネスコ(国連教育科学文化機関)は昨年10月、中国の申請した「南京大虐殺の記録」を世界記憶遺産に登録。日本政府は「申請資料が一方的な主張にもとづいている」などと反発した。(2016年3月8日:映画で映す、戦後71年 南京事件、元日本兵の証言:朝日新聞紙面から引用)
新スポットも誕生

 12月にあったイベントには、中国から現地の旅行会社の関係者が出席しました。日本の旅行会社向けの説明では「中山陵(孫文のお墓)」「孫権の墓」「夫子廟(孔子を祭っている廟)」「玄武湖」「鶏鳴寺」など南京市の代表的な観光地が紹介されました。

 また、新しい観光スポットとして、牛首山文化観光区にある三蔵法師の舎利を奉納する新しい建物「仏頂宮」や、瑠璃の大報恩寺タワーなども説明されました。

 一方で、日中戦争に触れた場面はありませんでした。


「インバウンドとアウトバウンドのアンバランス」

  なぜ、日本向けのインバウンドイベントが企画されたのでしょうか? 「中国青年旅行社」の張心義さんは「インバウンドとアウトバウンドのアンバランスさがあった」と説明します。

 張さんによると、2015年から2016年にかけて、中国から来日した観光客は200万人増えて、600万人になりました。一方、日本から中国に旅行する訪中客は190万人程度で横ばいが続いています。

 南京市の観光協会である「南京市観光旅行委員会」の李佳さんは「南京を訪れる外国人観光客では、日本人が一番多い。南京市としても日本市場を重視しており、牛首山文化旅行区などの新しい観光スポットができたタイミングでイベントを開催しました」と話します。
「観光と歴史問題は矛盾しない」

 2017年は日中の国交回復45周年の記念の年にあたります。イベントに参加した中国の観光業界は「記念の年に向けて、南京と東京での交流などを深めていきたい」と意気込んでいます。

 ただ、2017年は、南京大虐殺から80年の年でもあります。イベントの関係者の1人は「観光と歴史問題は必ずしも矛盾しているわけではありません。観光を通じて、民間の友好につなげていきたい」と語ります。

 明王朝の時代から残る南京城の城壁「台城」の修復には、日本の友好団体や日本の市民からの義援金があてられたこともあります。2017年には「博愛の旅」というイベントが企画されています。これは、孫文が掲げた「博愛」の精神にもとづき、1000人の日本人を南京に招待して、交流を進めるというものです。

 南京市がある江蘇省の観光事業を担当する関係者によると「江蘇省を訪れる日本からの観光客の数は長年でトップを占めてきました。しかし、2016年には韓国に越される見通しです。2017年に日本が首位に戻ってほしい」と語りました。
日本人の感想は?

 日本の旅行会社は、どう見ているのでしょうか?

 旅行会社クラブツーリズムは、「千島の菜の花畑を小舟遊覧と旅情あふれる江南水郷めぐり6日間」というプランに、上海・無錫・揚州・南京・蘇州の5都市の観光プランを盛り込みました。春の菜の花のシーズンと合わせ、2017年4月上旬に実施する予定です。

 南京では、世界遺産の明孝陵、南京博物院、中山陵、中華門、総統府などの観光スポットが予定されています。一泊滞在するほか、南京ダックなどの南京料理も堪能できるそうです。

 クラブツーリズムの担当者は「この5、6年、南京観光コースの実績があまりありませんが、(南京には)ブランド力もあるので、潜在的なニーズも考えて南京を組み込んだ新商品を開発しました」と話していました。

南京.PNG



朝日新聞紙面から「南京事件」を引用する時点で間違っているわな。
南京大虐殺は捏造です。
南京事件の後に人口が増えたのは何故ですか。
withnewsの記事自体が悪意のあるプロパガンダに見えます。
南京市など、危険なイメージが強いので、南京錠や南京玉すだれなどを紹介しても、ツアーに参加しませんよ。
ルーピー鳩山のような変人なら行って土下座をするのだろう。
南京大虐殺はなかった。
1938年に蒋介石が日本が南京大虐殺をしたとやたら宣伝したが、世界の国は無視した。
何故かと言えば、そんなことはなかったからです。
歴史捏造です。
中国人部隊による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺があった通州事件は実際に起こったことです。
日本は「通州事件」を世界記憶遺産に登録しましょう。



南京大虐殺は捏造だった/自虐史観払拭


中国が捏造している南京大虐殺は、通州事件を南京大虐殺と話をすり替えています。


通州事件
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=43046227

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺を指す。

通州は、北平(現:北京市)の東約12kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、冀東防共自治政府が置かれていた。また、北京議定書に基づき、欧米列強同様に日本軍が邦人居留民保護の目的で駐留していた。
1937年7月7日に中国軍による駐留日本軍(この部隊は元々、通州に配置されようとした際に、梅津美治郎陸軍省事務次官が京津線から離れた通州への配置は北京議定書の趣旨では認められないと強く反対したために代わりに北京西北の豊台に配置された部隊であった[1])への銃撃に端を発した盧溝橋事件が勃発し、まもなく停戦協定が結ばれたが、7月25日に再び日本軍への銃撃事件が引き起こされ(廊坊事件)、続く7月26日にも日本軍への攻撃が繰り返された(広安門事件)。7月28日、日本軍は華北攻撃開始。7月29日、約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。
冀東防共自治政府保安隊が通州事件を起こした原因としては以下の3つの説が存在している。
日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎を誤爆したことへの報復だったとする説[2](ただし、誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している[3]) 。
中国国民党軍が冀東防共自治政府保安隊を寝返らせるため、ラジオで「日本が大敗した」と虚偽の放送をおこない、冀東保安隊がそれに踊らされたという説[3][4]。
1986年に公表された冀東保安隊長・張慶餘の回想録や、中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、張慶餘、張硯田の両隊長は、中国国民党第29軍とかねてから接触。「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、中国国民党と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものとする説[5]。
また、当時大使館付陸軍武官補佐官であった今井武夫は、「もっともこれは単に通州だけに突発した事件ではなく、かねて冀察第二十九軍軍長宋哲元の命令に基づき、華北各地の保安隊がほとんど全部、29日午前2時を期して、一斉に蜂起し、日本側を攻撃したものである」と述べている[6]。
主犯の張慶餘は通州事件後は中国国民党軍に属し、最終的に中将まで昇格している[7]。
なお、中国側では「抗日蜂起」とも言われる。

影響等 [編集]

「通州虐殺事件」
日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が同盟通信を通じて日本全国に報道されると、日本の対支感情は著しく悪化した[8]。 これは、既に7月7日生じたあと現地で解決されていた日本軍と国民党の武力衝突につき、感情論に任せたなし崩し的戦線拡大を招いた。
近年ではこの事件に対する報道は日中両国で皆無であり、歴史の闇に消えようとしている。中国政府公式対外宣伝刊行物の『南京大虐殺写真集』の目次では『盧溝橋にて「北支事変」勃発、日本は華北を侵略する。日本軍は第二次上海事変を起こし、上海へ出兵する。』と述べており、この事件については一切触れられていない。
戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、弁護団は通州事件について、外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。

生存者の証言・記述 [編集]

九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います。」[9]。
吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された者が、中国人看護婦により自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。父は医院を開業していたが、保安隊が襲う直前に遺書を書き中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという。[10]外部リンク[11]には家族の実名が出ている。


支那 通州事件の記録写真と南京大虐殺の捏造.


通州事件の真実 01 Sさんの体験談 1-5
ラベル:中国
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posted by hazuki at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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