2016年06月23日

沖縄戦から71年「慰霊の日」で追悼式

沖縄戦から71年「慰霊の日」で追悼式

沖縄戦から71年「慰霊の日」で追悼式
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160623/k10010568211000.html
6月23日 11時57分

沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から71年の「慰霊の日」を迎えました。最後の激戦地となった糸満市では、遺族などおよそ4700人が参列して戦没者追悼式が開かれました。

太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦が3か月にわたって続いて20万人を超える人が亡くなり、沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、遺族などおよそ4700人が参列して県主催の戦没者追悼式が開かれ、正午の時報に合わせて全員で1分間の黙とうをささげました。
このあと翁長知事が「平和宣言」を読み上げ「県民が身をもって体験した戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられない。この悲惨な戦争の体験こそが、平和を希求する沖縄の心の原点だ」と述べました。そのうえで、アメリカ軍基地で働く軍属の男が20歳の女性を殺害するなどした疑いで逮捕された事件を踏まえて「広大なアメリカ軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件事故が繰り返されてきた。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じている。日米両政府には、海兵隊の削減を含むアメリカ軍基地の整理縮小など過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます」と述べました。
安倍総理大臣は、沖縄戦の犠牲者と遺族に哀悼の意を示したうえで「アメリカ軍の関係者による卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに非常に強い憤りを覚えている。私たちは今もなお、沖縄が大きな基地の負担を背負っている事実を重く受け止めなければならない。今後とも、国を挙げて基地負担の軽減に一つ一つ取り組んで行く」と述べました。

魂魄の塔で祈り

沖縄戦の激戦地となった糸満市にある、身元が分からない犠牲者をまつった「魂魄の塔」には朝早くから遺族などが訪れ、静かに祈りをささげています。糸満市米須にある「魂魄の塔」は、沖縄戦が終わった翌年、身元が分からないまま放置されていたおよそ3万5000人の遺骨を集めて県内で最初に建てられた慰霊塔です。沖縄戦から71年の「慰霊の日」を迎え、朝早くから遺族などが次々と訪れて静かに手を合わせ、祈りをささげていました。
父親とおばを亡くし、遺骨が見つかっていないという沖縄県南城市の大城昌清さん(74)は、父やおばが写った家族の写真を持って訪れ「犠牲者のことを思うとことばが出ません。もう二度と戦争は起こしてほしくありません」と涙ぐみながら話していました。


慰霊の日.PNG



沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から71年の「慰霊の日」を迎えた。
最後の激戦地となった糸満市では、遺族などおよそ4700人が参列して戦没者追悼式が開かれた。
本日、6月23日(木)は、沖縄県は慰霊の日です。
沖縄県の学校は休みになります。
太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった人達を悼む日です。
私は、沖縄で生まれ、11歳まで沖縄で育ちましたので、慰霊の日のことはよく覚えています。
沖縄戦終結71年です。
黙祷。
ラベル:慰霊の日
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posted by hazuki at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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