2015年01月04日

親日韓国人作家の柳舜夏氏、「蔑称『チョッパリ』はただの哀れな呻き」と指摘

親日韓国人作家の柳舜夏氏、「蔑称『チョッパリ』はただの哀れな呻き」と指摘

韓国人作家「蔑称『チョッパリ』はただの哀れな呻き」と指摘
http://www.news-postseven.com/archives/20150103_295067.html
2015.01.03 07:00

「韓国人の反日感情は、日本人への劣等感のあらわれだ」−−韓国人作家・柳舜夏氏は、親日派への糾弾が日常茶飯事である韓国に住みながら、日韓比較論『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』(小学館刊)のなかで、韓国人の反日コンプレックスを厳しく批判している。

 * * *

 比較できるすべての事柄で、日本は韓国より遥かに先んじている。尊重すべき対象にはなっても、蔑視対象にはならない。根拠がない日本への蔑視は、自激之心(劣等感)の赤裸々な露出以外の何物でもない。国家間で表れる自激之心は、やがて国粋主義の根源となる。国粋主義の閉鎖性は、国家を最初から麻痺させる慢性病のようなものだ。

 “チョッパリ”という日本人の蔑称は、新国粋主義、新鎖国主義的な防御意識であり、コンプレックスを抱えた嫉妬に過ぎない。卑称や蔑称は、それを発した者に跳ね返ってくるのが常である。

 “チョッパリ”−−それは自尊心を踏みにじられた者の哀れな呻きに過ぎない。しかも日本には“チョッパリ”や“倭人”のような蔑称、卑語がない。彼らは私たちをひどく蔑む時も、その呼称はそのまま“韓国人”であり“朝鮮人”だ。批判や拒否や攻撃は、堂々とした正攻法であってこそ意味があり、正攻法には一定の力が伴われなければならない。

 彼らが軍国主義的な挑発をしたとき、その挑発に相応した報復をする力がなければ、どんな声も基本的に力を持たない。そのような場合には、声の代わりに刀を研がなければならない。刀を研いで力を育てて、彼らを蔑んでも大丈夫であるコンテンツのいくつかでも作り出さなければならない。その道しかない。力が弱い状態でいくら声をあげても効果がない。

 謝罪要求も同様である。「謝罪しなければ、ただじゃおかない」という脅迫も間違いだ。懲らしめる力がないのにどのように懲らしめられるというのか。何を、どのように懲らしめられるのか。

 ※柳舜夏氏・著/『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』より


親日韓国人作家・柳舜夏.PNG
韓国人の癇癪 日本人の微笑み -
韓国人の癇癪 日本人の微笑み -



チョッパリという日本人の蔑称は、新国粋主義、新鎖国主義的な防御意識であり、コンプレックスを抱えた嫉妬に過ぎない。
卑称や蔑称は、それを発した者に跳ね返って来るのが常である。
日本にはチョッパリや倭人のような蔑称、卑語がない。
彼らは私達を酷く蔑む時も、その呼称はそのまま韓国人であり朝鮮人だ。
「韓国人の反日感情は、日本人への劣等感のあらわれだ」
と言っても、韓国の日本に対するヘイトスピーチを許す訳には行かないです。
日本沈没、大地震をお祝います、日本の皆さん地震で死んで下さいというヘイトスピーチは許されない。



日本沈没と韓国人.PNG
大地震お祝いします.PNG



韓国の青年が「日本人の皆さん地震で死んで下さい」とメッセージ
(Korean said 「All Japanese be killed in an earthquake.)
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/292180020.html




参考

親日韓国人作家の柳舜夏氏、韓国の悪口は種類が豊富 「糞尿で揚げて殺すべき奴」他紹介
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/411138950.html

親日韓国人作家 「世界で最も残飯が出るのは韓国料理」
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/411033676.html
ラベル:韓国
【関連する記事】
posted by hazuki at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック