2014年10月03日

[追悼 中川昭一氏] 中川郁子農水政務官が夫を語る

[追悼 中川昭一氏] 中川郁子農水政務官が夫を語る

【追悼 中川昭一】
中川郁子農水政務官が夫を語る
http://www.sankei.com/premium/news/141003/prm1410030006-n1.html
http://www.sankei.com/premium/news/141003/prm1410030006-n2.html
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2014.10.3 06:00

中川昭一元財務相=当時(56)=が急逝してから、3日で5年を迎えた。中川氏の後継者として平成24年の衆院選に初当選し、9月に農林水産政務官に就任した妻の中川郁子(ゆうこ)衆院議員(55)が「夫、昭一」について語った。(政治部 沢田大典)

 昭一が亡くなって最初の1年、2年は時間がたつのが遅くて、本当に大切な家族を失ったんだな、という気持ちでした。周囲の人が昭一の話をしてくださり、思い出すことが多くありました。

 国会議員なってからは忙しくて時間がたつのが早いせいかあっという間で、5年もたったという気がしません。何かあるたびに「昭一だったらどう考えるかな、相談しようかな。…あ、いなかったんだ」というのが繰り返しあって、今でも生きているような気がしています。

中川家と縁が深い農水省

 今回、農水政務官を拝命しました。昭和54年、初代農水相として農水省の正面玄関に「農林水産省」と揮毫(きごう)したのは昭一の父・中川一郎(1925−83年)でした。昭一も、政務次官、農水相を勤めました。農水省は非常にご縁があるんだなと、とても感慨深いものがあります。就任したときと同様に大変な緊張感で一杯です。

 農政については、耕作放棄地の解消や高齢化問題など、たくさんの課題があります。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関しては、(重要5分野の保護を求めた)衆参の国会決議が守られるよう、全力を尽くしたいと思います。農業全体として農業者の所得を向上し、地域の所得も向上する、ということで、地方再生につながっていくような方向を考えていかねばなりません。

 また、日本の美しい農村風景の維持や、安全でおいしい日本食の普及にも取り組みたいと考えています。昭一と一緒に外遊した際、日本食のようだがちょっと違うものを見て、危惧していたことを思い出します。

朝日の慰安婦誤報問題、昭一だったら…

 朝日新聞が、慰安婦問題についての虚偽報道を認め、謝罪しました。日本人について世界中が誤解するような大きな社会問題となってしまったことに関して謝罪をしたのです。

 慰安婦問題をはじめとした歴史認識や朝日新聞報道について、昭一は強い危機感を持っていました。昭一だったら、この状況をどう思い、どう対応しただろうか。

 最初に頭をよぎったのが、昭一が平成20年11月号の月刊『正論』に寄稿した「マスコミの潜在的良心に対する我が期待」です。「マスコミが自ら国家発展の一翼を担おうという気概をもち、民主主義国家にふさわしい、自由で闊達(かったつ)で、誇り高い言論の場を創り出してくれるなら、それだけで日本は、より高く飛躍するでしょう」とあります。

昭一は、「謝罪をしたことは大きな一歩だ」「朝日もようやく気がついたのか」と言うと思います。その上で、朝日新聞には、訂正するものはきちんと訂正し、中国語、朝鮮語、英語で自社の報道が間違っていたということを示して、日本と日本人が着せられてきた汚名をそそぐ必要を説いて、朝日新聞と朝日新聞に同調したマスコミに「ともに誇り高い言論の場をつくっていきましょう」と呼び掛けたと思います。

 こんなことがありました。娘が中学生だったある夜、昭一は血相を変えて帰宅し、「教科書を持ってきて」と。安倍晋三首相や周りの先生方に触発されたんでしょうか。娘の部屋から教科書を持ってきてパラパラめくるとみるみる顔色が変わりました。自虐史観にあふれた教科書で子供が学んでいるということに対してものすごく憤りを感じた様子でした。

そんな思いから、昭一は教科書問題を研究する「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げて会長に就任しました。平成9年12月には「歴史教科書への疑問」(展伝社)という黄色い本を出しました。議員になってから私も苦労して20冊手に入れて、同期の先生に配りました。

 昭一がよく話していたのは子供たちのことです。日本の子供たちが日本のすばらしい伝統文化を継承していくという機会が、学校教育でとても少ないということを心配し、日本を誇れる日本人になってほしいと願っていました。

 目指した理想は、日本の歴史と伝統文化をしっかりと維持しつつ、しかし、改革をしなければ、いけないところは改革をすることでした。保守というのは改革をしないというのではなく、保守するために改革をするんだということを常に言っていました。

異変は直近までなかった… 

 昭一は亡くなる直前、水源地や周辺地域を開発から守る「水循環基本法」を「一番やりたい」と強く言っていました。、世界的に洪水、渇水、水質汚染といった水の危機がささやかれ、「水の安全保障」は重要性を増しています。昭一は自民党の「水の安全保障に関する特命委員会」の委員長に就き、水問題を研究していました。私も水の安全保障はライフワークにしていきたいと思います。

 亡くなった直近も異変はありませんでした。3カ月に一度、高校時代の友人の医師による健康診断を受けていました。亡くなる1週間前にも受けました。ただ、政治というものは、大変ストレスの多い仕事だと思います。

平成21年2月、ローマで開かれた先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議後の記者会見。私は、あれは「事件」だと思っているんですが、あれ以来、マスコミが繰り返し映像を流したことも、ストレスだったかもしれませんね。昭一はそのことに関しては何も言いませんでしたが、私自身は、同じようなメディアの報道が繰り返されているのは本当に残念です。

 「あともうちょっと生きていれば、(繰り上げ当選で)議員に復帰できたのに」という方もいらっしゃいます。家族としては、そこは少しずつあきらめていかなければならないことだと思います。

 地元で開かれた「哀惜の会」で、麻生太郎元首相は弔辞でこう述べられました。

 「死せる中川、生ける保守を走らす」

 私も昭一の思いをしっかり引き継いで、政治活動に励んでいきます。

なかがわ・ゆうこ 昭和33年生まれ。聖心女子大卒業後、三菱商事に入社。57年に昭一氏と結婚。平成19年、環境保護活動などに携わるNPO法人の代表に就任。昭一氏の死後、衆院北海道11区の後継支部長となり、24年衆院選で初当選。9月に農林水産政務官に抜擢された。

 なかがわ・しょういち 昭和28年生まれ。東大法学部卒業後、日本興業銀行に。父・一郎元農水相の急死を受け、58年の衆院選で父の地盤である旧北海道5区から出馬し初当選。農水相、経済産業相、財務相などを歴任。21年8月の衆院選では9選を目指して北海道11区から出馬したが落選。同年10月3日、自宅で死去した。


中川昭一.PNG
中川郁子.PNG



中川昭一元財務相=当時(56)=が急逝してから、3日で5年を迎えた。
後継者として平成24年の衆院選に初当選し、9月に農林水産政務官に就任した妻の中川郁子(ゆうこ)衆院議員(55)が「夫、昭一」について語った。
中川家と縁が深い農水省、「朝日の慰安婦誤報問題」昭一氏だったら、・・・。
「昭一は亡くなる直前、水源地や周辺地域を開発から守る「水循環基本法」を「一番やりたい」と強く言っていました。」
中川昭一氏が逝去して、今日、3日で5年。
人権擁護法案にも反対でしたね。



中川昭一 ライブラリ
http://nakagawa-shoichi.jp/



眠ったままの日本人へ〜中川昭一氏が残したもの


恐怖!「人権侵害救済法案で私は消される。」 故中川大臣
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posted by hazuki at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 自民党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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