2014年10月01日

元朝日記者の植村隆を批判し「天誅」、北星学園大に脅迫文

元朝日記者の植村隆を批判し「天誅」、北星学園大に脅迫文

元朝日記者批判し「天誅」、北星学園大に脅迫文
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140930-OYT1T50117.html?from=ytop_main7
2014年09月30日 17時33分

北星学園大学(札幌市厚別区)に、いわゆる従軍慰安婦報道に携わった別の元朝日新聞記者の非常勤講師を辞めさせないと、学生に危害を加えるという趣旨の脅迫文書が届いていたことが、捜査関係者への取材で分かった。北海道警札幌厚別署が威力業務妨害容疑で調べている。

 捜査関係者によると、文書は少なくとも2通あり、5月29日と7月28日に学長ら宛てに郵送で届いた。いずれも元記者や慰安婦報道に対する批判とともに「元記者を辞めさせなかったら、天誅(てんちゅう)として学生を痛めつける。くぎを混ぜたガスボンベを爆発させる」などと印字された文字で書かれていた。封筒には虫ピンが数本同封されていたという。


朝日新聞 植村.PNG



北星学園大学(札幌市厚別区)に、慰安婦報道に携わった別の元朝日新聞記者の非常勤講師を辞めさせないと、学生に危害を加えるという趣旨の脅迫文書が届いていたことが、捜査関係者への取材で分かった。
北海道警札幌厚別署が威力業務妨害容疑で調べている。
元朝日新聞記者とは、植村隆のことですね。
植村隆のWikiには、「2014年4月より北星学園大学で非常勤講師として、国際交流科目の講義を担当し、主に韓国からの留学生を対象に韓国語で講義を行っている。」とあるのですが、北星学園大学のWikiからは、植村隆の名前が消えています。
札幌にお住まいの方から植村隆は札幌に住んでいると情報が入っています。
北星学園大学の非常勤講師をしているのかは定かではない。



北星学園大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%98%9F%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%A4%A7%E5%AD%A6

北星学園大学(ほくせいがくえんだいがく、英語: Hokusei Gakuen University、公用語表記: 北星学園大学)は、北海道札幌市厚別区大谷地西2-3-1に本部を置く日本の私立大学である。1962年に設置された。
プロテスタント系のキリスト教主義学校のひとつ。北星学園大学短期大学部・北星学園女子中学高等学校・北星学園大学附属高等学校・北星学園余市高等学校とは同法人が運営する系列姉妹校にあたる。

年表[編集]
1887年 1月15日 サラ・C・スミス塾が札幌市北1西6に開塾
1889年 スミス女学校として正式認可
1894年 札幌市北4西1に移転。北星女学校と校名変更
1925年 聖書・英文・家政専攻科設置
1929年 札幌市南5西17に新校舎建築移転(後に、南4西17に住居表示変更)
1951年 北星学園女子短期大学開学 英文科設置
1954年 短期大学に家政科を設置
1962年 北星学園大学設立、文学部に英文学科、社会福祉学科を設置
1965年 経済学部を開設。経済学科を設置
1975年 短期大学英文科を英文学科に、家政科を家政学科に名称変更
1987年 経済学部に経営情報学科を設置
1989年 短期大学家政学科を生活教養学科に名称変更
1992年 大学院開設 文学研究科社会福祉学専攻(修士課程)設置
1996年 社会福祉学部を開設 福祉計画学科、福祉臨床学科、福祉心理学科を設置
2000年 大学院 社会福祉学研究科社会福祉学専攻(修士課程、博士[後期]課程)、心理学専攻(修士課程)設置
2001年 大学院 文学研究科言語文化コミュニケーション専攻(修士課程)、経済学研究科経済学専攻(修士課程)設置
2002年 北星学園女子短期大学を北星学園大学短期大学部に改称、短期大学生活教養学科を生活創造学科に名称変更、文学部に心理・応用コミュニケーション学科増設、経済学部に経済法学科増設
2006年 大学院 社会福祉学研究科 心理学専攻を臨床心理学専攻に名称変更
2012年 開学50周年



植村隆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E9%9A%86

植村 隆(うえむら たかし、1958年4月 ‐ )は、北星学園大学非常勤講師、元新聞記者、元朝日新聞社社員。1991年、いわゆる従軍慰安婦問題を報道した。当該報道は朝日新聞の吉田証言報道とともに慰安婦問題に関わる最初期の報道であったが、吉田証言と同様、事実に反する記述を含んだ虚偽報道(朝日新聞は『誤用』と主張)であった[1][2][3]。元慰安婦が親によって売られたことを訴状に書いていたにもかかわらず、そこに触れずに作成された記事であったため、意図的な捏造であったとも指摘されている(#記事に対する批判参照)[4][5][6][7][8]。妻の母親は韓国人で慰安婦等の支援団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の代表[9][10]。

経歴

高知県生まれ。土佐中学校・高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1982年、朝日新聞入社。千葉支局、大阪本社社会部、テヘラン支局長、ソウル特派員、外報部デスク、北京特派員、朝日カルチャーセンター札幌教室講師を経て、北海道報道センター函館支局長を務めた。[11]

1991年8月11日の朝日新聞にて慰安婦に関する記事を掲載。(韓国特派員時代)[4] 

上記記事は、一部の著名人より問題点の指摘を受けるも訂正、修正は長らく行われなかった。しかし、2014年8月になり、朝日新聞は記事の一部に誤用(挺身隊との混同)があったとする検証記事を報道した。

2008年11月、朝日新聞にて2007年4月2日から2008年3月30日まで連載された「新聞と戦争」取材班の一員として、第8回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞している[12]。

2014年3月に朝日新聞を早期退職し、4月より神戸松蔭女子学院大学教授に就任予定[4]であったが、当大学はホームページ上にて植村との雇用契約を解消する旨を公表した[13]。

2014年4月より北星学園大学で非常勤講師として、国際交流科目の講義を担当[14]し、主に韓国からの留学生を対象に韓国語で講義を行っている[5]。

朝日新聞社入社後に延世大学校へ留学した経験があり[15]、韓国語に堪能。




参考

朝日新聞を早期退社の植村隆は北海道の北星学園大学で国際交流科目の講師として採用された模様
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/397709724.html

慰安婦詐欺の植村隆、教授就任の件が消滅!植村隆との雇用契約は、2014年3月7日付で解消と神戸松蔭女子学院大学!
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/394304201.html

猛然と走って逃げた朝日新聞「慰安婦」記者
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/387390880.html
【関連する記事】
posted by hazuki at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック