http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140927-00000511-san-pol
産経新聞 9月27日(土)12時0分配信
今年2月の東京都知事選で落選しながらも61万票を集め、「田母神新党」結成が取り沙汰されてきた元航空幕僚長の田母神俊雄氏が25日、西村真悟衆院議員と「新党」を結成した。ところが、よくみると、「新党」は、石原慎太郎元東京都知事(現・次世代の党最高顧問)を代表にして結成された「太陽の党」を継承したものだった。石原氏らが日本維新の会に合流したことで太陽の党は消滅した、と思われていたが、実は「政党」としていまだに生き残っていた。「太陽は沈んではいなかった」のだ。
25日の「結党」記者会見で話題になったのは、消えていたはずの太陽の党がなぜ生存していたかだ。石原氏が政界再編などを仕掛けるために温存していたのではないか−という憶測が出た。
ところが、会見に同席した次世代の党の藤井孝男総務会長が、思わぬ理由を打ち明けた。
「ざっくばらんに言いまして、『借金』です。銀行や金融機関に太陽の党が債務を負っていたのを返済するには、政党を残しておかなければならなかったとの理由で、残したんです」
太陽の党は平成24年11月、「たちあがれ日本」から名称を変更する形で誕生した。22年春に結成された「たちあがれ」は、同年夏の参院選で2%以上の得票率を得たため、太陽の党は政治資金規正法上、国会議員が誰もいなくなっても政党として存続することができた。
一方で太陽の党は、平成24年末に政党助成法に基づく政党の解散届を出したため、現在は政党助成金を受けていない。
太陽の党は、政治資金規正法上は政党であり政党助成法上は政党ではないという事態になるが、総務省によると「どちらかの法律が政党と認めれば政党として成立する」という。
ちなみに、石原氏らが抜けた後の太陽の党の代表は藤井氏の秘書が「便宜的」に就いていた。この秘書は、次世代の党の会計責任者になっている。こうした兼務は政治資金規正法上も、政党助成法上も禁止する規定はない。
「田母神新党」=太陽の党は、「次世代の別動隊」なのか。
実は、太陽の党の田母神、西村両氏への継承は、藤井氏らが仕掛けたものだった。ここで、新代表になった西村氏がクローズアップされる。
日本維新の会公認で24年の衆院選に当選した西村氏は昨年、慰安婦に関する自身の発言が問題視され、当時の橋下徹共同代表らから維新を除名された。石原氏らには西村氏への同情論があり、次世代の党結成にあたり、西村氏の合流話が出てきた。ところが、次世代に所属する一部議員が強く反発、西村氏の次世代入りは見送られた。
そこで藤井氏らは、西村氏による太陽の党の継承を次善策として検討を始めた。かねて、田母神氏が新党結成を目指していたこともあり、田母神、西村、石原3氏が調整して、25日に記者発表の運びとなったのだ。
西村氏らは、29日召集の臨時国会中に次世代との統一会派を組み、来年の統一地方選後の衆院解散・総選挙までには「合流」するとのタイムスケジュールを描く。
「自主憲法の制定、国軍の創設、真の歴史観主張と日本の名誉回復…」
西村氏は記者会見で、新生「太陽の党」の基本政策を勇ましく発表した。
石原氏は「存分に活躍してほしい」とエールを送ったが、はたして田母神、西村、石原の3氏が一つの党下で結束するときは、いつになるか。そして、太陽の党は沈まずに生き残り続けられるか。(政治部 村上智博)
消えていた筈の太陽の党が何故、生存していたか?
「ざっくばらんに言いまして、「借金」です。銀行や金融機関に太陽の党が債務を負っていたのを返済するには、政党を残しておかなければならなかったとの理由で、残したんです」(次世代の党の藤井孝男総務会長)
太陽の党の田母神、西村両氏への継承は、藤井氏らが仕掛けたものだった。
田母神氏が新党結成を目指していたこともあり、田母神、西村、石原3氏が調整して、25日に記者発表の運びとなった。
太陽は沈んでなかった。
期待します。
次世代の党と太陽の党のどちらを応援しても良いですね。
参考
田母神氏、西村眞悟氏が「太陽の党」結成を発表
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/406006672.html
ラベル:太陽の党