【国際ビジネスマンの日本千思万考】
単なる記念日ではない、「8・15」の意味を考える…なぜこの日を日本人はメモリアルにしたか
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140816/waf14081612000002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140816/waf14081612000002-n2.htm
2014.8.16 12:00 [国際ビジネス]
「8・15」さまざまな意図
今年も8・15を迎えました。政府は、6日広島・9日長崎の被爆両日を踏まえ、盂蘭盆の中日である15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として毎年全国戦没者追悼式を主催し、一般にも、終戦記念日とする方や敗戦の日だという方もいて、一方で平和集会を開く諸団体もあります。
そもそも、大戦の記憶を留める日本人が極めて少数派となり、戦後の歴史教育も昭和史をおざなりに済ませてきた経緯も相まって、大半の世代には8月15日という日の意義を考えたこともない方が多くなってきたようです。本題に入る前に世界大戦の歴史からたどってみたいと思います。
20世紀の2つの大戦
20世紀に世界は2つの大戦を経験します。第一次大戦は、ちょうど百年前に勃発し、ドイツを中心とした同盟国側と英仏露など連合国側との泥沼の全面長期戦争に発展し、約1300万人の犠牲者を出し、4年後に終戦に至りました。
日本は日英同盟の契りから連合国側に加わり、この大戦では勝利を得て、世界の5大国へとのし上がりましたが、そのこと自体が、後に中国本土や太平洋進出を画策していたアメリカとの軋轢(あつれき)を生みます。さらに日英同盟を喪失することに追い込まれ、残された同盟国ロシアも革命に見舞われ、国際的孤立化に陥ってしまうことで、その後の悲劇につながる道をたどり始めることになったのです。
第二次大戦は、今から75年前、ドイツのポーランド侵攻に端を発し英仏が宣戦布告した第一弾のヨーロッパ戦争に始まり、2年後に日本が米英と開戦した太平洋戦争(支那事変を包括する大東亜戦争)と称される第二弾で、日独伊枢軸国同盟陣営と米英仏ソ中などの連合国陣営との全面戦争へと突入します。人類史上最大の犠牲者(軍人2200万人、民間3000万人以上、うち日本軍人210万人、同民間100万人弱)を生む長期大戦となり、今から69年前の1945年、停戦に至ったのです。
「玉音放送」の前後に
さて本題です。第二次大戦の終結日に関しては、イタリアが4月に、ドイツが5月にそれぞれ降伏しており、日本は遅れて8月14日に、ポツダム宣言受諾を連合国側に通達しました。翌15日に、いわゆる玉音放送(昭和天皇による終戦詔書の朗読放送)によって、日本国民が降伏の事実を知らされたことになります。
帝国大本営が、全軍に休戦命令を下したのが、8月16日のことでした。次いで9月2日に日本政府が降伏文書(休戦協定)に調印しました。従って、日本の敗戦記念日とするなら、8月14日、16日、または9月2日のいずれでも良さそうです。
ちなみに、連合国側の米英仏露等が「戦勝記念日」として、日本が降伏した9月2日を特定しているようですから、あえてこの日と「敗戦」という屈辱的な言葉を避けるため、多くの日本人が8月15日を「終戦記念日」と称するようになったのではないかと思われます。
しかしながら実際上、「終戦記念日」とか「平和記念日」と呼称するのならば、やはり国際法の基本にもとづき、次のような日付を選んだ方がより正当化されるはずです。それは1951年の9月8日で「サンフランシスコ講和条約(または平和条約)」に調印した日です。
そして、この条約が正式に発効したのが1952年の4月28日のことで、国際法上、連合国諸国(ソ連他共産主義国を除く)との戦争状態が完全に終結したことになります。
すなわち、「日本が独立を回復し」「主権を回復した日」こそ、真正の「終戦記念日」と言えるし、これを「平和記念日」と呼称する方が、国際的にも認められるでしょう。
(上田和男)
=随時掲載します
上田和男(こうだ・かずお)
昭和14(1939)年、兵庫県淡路島生まれ。37年、慶応大経済学部卒業後、住友金属工業(鋼管部門)に入社。米シラキュース経営大学院(MBA)に留学後、45年に大手電子部品メーカー、TDKに転職。米国支社総支配人としてカセット世界一達成に貢献し、57年、同社の米ウォールストリート上場を支援した。その後、ジョンソン常務などを経て、平成8年(1996)カナダへ亘り、住宅製造販売会社の社長を勤め、25年7月に引退、帰国。現在、コンサルティング会社、EKKの特別顧問。
20世紀に世界は2つの大戦を経験します。
第一次大戦は、ちょうど百年前に勃発し、ドイツを中心とした同盟国側と英仏露など連合国側との泥沼の全面長期戦争に発展し、約1300万人の犠牲者を出し、4年後に終戦に至りました。
第二次大戦は、今から75年前、ドイツのポーランド侵攻に端を発し英仏が宣戦布告した第一弾のヨーロッパ戦争に始まり、2年後に日本が米英と開戦した太平洋戦争(支那事変を包括する大東亜戦争)と称される第二弾で、日独伊枢軸国同盟陣営と米英仏ソ中などの連合国陣営との全面戦争へと突入します。
人類史上最大の犠牲者(軍人2200万人、民間2000万人以上、うち日本軍人210万人、同民間100万人弱)を生む長期大戦となり、今から69年前の1945年、停戦に至ったのです。
第二次大戦の終結日に関しては、イタリアが4月に、ドイツが5月にそれぞれ降伏しており、日本は遅れて8月14日に、ポツダム宣言受諾を連合国側に通達しました。
翌15日に、いわゆる玉音放送(昭和天皇による終戦詔書の朗読放送)によって、日本国民が降伏の事実を知らされたことになります。
帝国大本営が、全軍に休戦命令を下したのが、8月16日のことでした。
次いで9月2日に日本政府が降伏文書(休戦協定)に調印しました。
従って、日本の敗戦記念日とするなら、8月14日、16日、または9月2日のいずれでも良さそうです。
連合国側の米英仏露等が「戦勝記念日」として、日本が降伏した9月2日を特定しているようですから、敢えてこの日と「敗戦」という屈辱的な言葉を避ける為、多くの日本人が8月15日を「終戦記念日」と称するようになったのではないかと思われます。
日本は、玉音放送(昭和天皇による終戦詔書の朗読放送)によって、日本国民が降伏の事実を知らされた日、8月15日を終戦の日にした。
サンフランシスコ講和条約に調印した1951年の9月8日を選ばなかった。
私は、終戦記念日というメモリアル的な呼び方に違和感を感じました。
拙ブログには、マスコミが使用している「終戦記念日」という言葉を使って、終戦記念日のカテゴリーを作り、数件の記事を投稿しましたが、民主党の松原仁の靖国参拝は、民主党へ、頑張れ日本は保守系へ、国内の話題は国内へと振り分けました。
終戦記念日ではなく、「終戦の日」が相応しいでしょう。
マスコミや個々の日本人の捉え方により、終戦の日だったり、終戦記念日だったり、バラバラなので、8月15日の朝刊と夕刊とテレビのニュースぐらいは、終戦の日と統一して欲しいものです。
ラベル:終戦の日
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