2014年07月17日

韓国のベトナムでの蛮行暴いた新聞社 韓国軍OBに襲撃された

韓国のベトナムでの蛮行暴いた新聞社 韓国軍OBに襲撃された
http://www.news-postseven.com/archives/20140717_265371.html
http://www.news-postseven.com/archives/20140717_265371.html?PAGE=2
2014.07.17 11:00

ベトナム戦争で韓国は米国に頼み、32万人を当地に派兵した。そして、韓国軍によるベトナム戦争中の大量虐殺事件は、現代史の一大汚点である。韓国軍はベトナム全土で、約100か所、推計1万人から3万人の大量虐殺事件を起こしている。

 ベトナム現地での明確な証言・証拠があるにもかかわらず、韓国ではこれまで、ベトナムでの残虐行為について言及することはタブーとされてきた。そして、このタブーを破る者には、暴力の制裁が待っていた。

 主に海兵隊OBから成る通称「枯葉剤戦友会」は今から15年前、ベトナムでの「真実」を暴いた韓国の報道機関を襲撃し、言論封殺を試みた。驚くべきは、この暴力組織と朴槿恵大統領が蜜月関係にあることだ。

「韓国軍はベトナムで何をしたのか」。韓国最大のタブーに挑んだのは、リベラル紙『ハンギョレ』が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。

 1999年5月、ベトナム在住の具秀ジョン・通信員が報じた韓国軍の「ベトナム人僧侶虐殺事件」は韓国社会に大きな衝撃を与え、その後も他の記者やベトナム参戦者を巻き込み、たびたび同誌誌上で検証記事が掲載されるようになった。その一部を要約・抜粋する。

<1969年10月、ベトナム南部のリンソン寺に現われた韓国兵が尼僧にいたずらをしようとした。居合わせた僧侶がそれを咎めると、韓国兵は逆上し銃を乱射、僧侶を含む4人が殺害された。遺体は燃やされた>

<1966年11月9日、ベトナム中部クァンガイ近郊の村にやってきた韓国軍は村の男たちを一か所に集めた。韓国兵は13歳の男の子に何かまくしたてていたが、言葉が分からない男の子は黙りこくったままだった。すると、韓国兵は男の子をその場で撃ち殺した。女や子どもたちは韓国軍からキャンディや菓子を与えられ安心しているところを銃殺された>

 次々と明かされる驚愕の真実に韓国の人々は言葉を失った。こうした一連の報道に激怒したのが、ベトナム参戦者により構成される「枯葉剤戦友会」を主体とした極右暴力組織だった。

2000年6月27日午後2時、枯葉剤戦友会会員を中心とした迷彩服姿の男2400名が鉄パイプや角材を片手にソウル市内のハンギョレ本社を包囲。機動隊との睨み合いが続く中、抗議活動は徐々にヒートアップし、暴徒化した一部が一瞬の隙をついて社屋へなだれ込んだ。

 建物に侵入した彼らは窓ガラスを次々と叩き割り、パソコンや印刷機などあらゆる事務機器を破壊、16万枚に及ぶ書類を燃やし、送電を遮断して同社の業務を半日に亘り中断させた。

 それでも怒りが収まらない彼らは、同社の駐車場にある2台の車を横転させ、別の1台に火を放った。同社の幹部は建物内に監禁され、社員十数名に負傷者が出た。これはもはや抗議活動ではなく常軌を逸した暴動だ。

 だが、これだけ大規模な破壊行為があったにもかかわらず、警察に連行されたのはわずか42名。身柄を拘束された者は4名しかいなかった。

 翌日、事件を大きく報じたのは当事者の『ハンギョレ』と『中央日報』のみ。他の大手紙報道はさめざめとしたもので、保守系の『朝鮮日報』に至っては、事件翌々日の社説で「参戦勇士への政府支援が必要」と戦友会への“配慮”を見せる有り様だった。

 たとえどのようなスタンスであれ、報道機関ともあろうものが暴力による言論弾圧を糾弾しないのはあまりに不自然だ。

■藤原修平(韓国在住ジャーナリスト)と本誌取材班

※SAPIO2014年8月号


ベトナム戦.PNG
橋下に抗議する元ベトナム戦争の兵士.PNG



「韓国軍はベトナムで何をしたのか」。
韓国最大のタブーに挑んだのは、リベラル紙「ハンギョレ」が発行する週刊誌「ハンギョレ21」だった。
ベトナム現地での明確な証言・証拠があるにも関わらず、韓国ではこれまで、ベトナムでの残虐行為について言及することはタブーとされてきた。そして、このタブーを破る者には、暴力の制裁が待っていた。
「枯葉剤戦友会」は今から15年前、ベトナムでの「真実」を暴いた韓国の報道機関を襲撃し、言論封殺を試みた。
「枯葉剤戦友会」こと「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」という極右暴力組織から支持を得ている朴クネ。
韓国の蛮行をベトナムに謝罪しない理由の一つ。
2000年6月27日午後2時、枯葉剤戦友会会員を中心とした迷彩服姿の男2400名が鉄パイプや角材を片手にソウル市内のハンギョレ本社を包囲。
翌日、事件を大きく報じたのは当事者の「ハンギョレ」と「中央日報」のみ。
暴力による言論弾圧を糾弾しない韓国の報道機関。



ライダイハン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3

ライダイハン(越:Lai Đại Hàn、𤳆大韓)とは、大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、「敵軍の子」として迫害された[1]。ライ「𤳆(チュノム表記、U+24CC6、「男」偏に「來」旁[2])」はベトナム語で動物を含む「混血雑種」を意味する蔑称で[1]、ダイハンは「大韓」(朝:대한)のベトナム語読みであるが、卑語であることから「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない[3]。韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(朝:라이따이한)のように発音される。
ベトナムと韓国が1992年に経済交流を再開して後に発生した混血児は「新ライダイハン」と呼ばれる[1]。



ゴダイの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

ゴダイの虐殺(ゴダイのぎゃくさつ、英語: Go Dai massacre, ベトナム語: Thảm sát Gò Dài)とは、ベトナム戦争時の1966年2月26日にベトナムビンディン省で韓国軍が住民380人を虐殺した事件のこと[1]。地名の発音は、むしろ「ゴザイ」に近い。
概要

1966年2月26日[2]、南ベトナムビンディン省タイソン県(ベトナム語版)ビンアン村のゴザイ集落を訪れた韓国陸軍首都機械化歩兵師団(英語版)(猛虎部隊)は住民380人を集めると一時間のうちに一人残らず虐殺した[3][4]。首都師団はゴダイの虐殺と並行してビンアン村の近隣にあるタイヴィン村で1,200人を虐殺するタイヴィン虐殺を行った。



フォンニィ・フォンニャットの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

フォンニィ・フォンニャットの虐殺(フォンニィ・フォンニャットのぎゃくさつ、퐁니•퐁넛 양민 학살 사건[3]、フォンニィ・フォンニャット良民虐殺事件[3]、Phong Nhi and Phong Nhat massacre[5])は、ベトナム戦争中の1968年2月12日に、南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で、大韓民国海兵隊第2海兵師団(青龍師団)(en)によって、非武装の民間人69-79人[6] が虐殺された事件。



ハミの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

ハミの虐殺(ハミのぎゃくさつ、Ha My massacre)とはベトナム戦争中の1968年2月25日に南ベトナムクアンナム省ハミ村で大韓民国海兵隊によって非武装の民間人135人が虐殺された事件。



「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」と元慰安婦ら会見
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/390876651.html

↑↑↑↑↑
売春婦達の会見です。




参考

ライダイハン里親「ベトナムには韓国兵相手の買春街あった」
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/401814089.html

韓国軍がベトナムで働いた婦女子への性暴行 現地からの報告
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/401624208.html

韓国のベトナム虐殺封印理由 被害者の立場維持が必要だから
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/401408075.html

韓国軍のベトナム戦争での蛮行が米世論に糾弾される可能性も
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/396282404.html

韓国人 ベトナム戦争の蛮行知らないのは「言論封殺」の結果
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/394060486.html

韓国退役軍人 ベトナム戦争の殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/393747141.html

ベトナム 被害を誇りにする文化なく韓仏に謝罪、補償求めぬ
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/393454659.html

韓国によるベトナム派兵 軍事独裁体制を維持するためだった
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/393287983.html

20歳時に4、5人の韓国兵に暴行を受けたベトナム人女性の証言
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392901703.html

ベトナム戦争 韓国軍「ゴダイの虐殺」を生き残った人の証言
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392705779.html

韓国が国内外で抱える「性」にまつわる不都合な真実!「ベトナム国内での問題には謝罪なし」!
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392701478.html

ベトナム戦争時 韓国軍駐留基地内に「慰安所」的な施設存在
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392282733.html

韓国サイト 韓国軍人に暴行されたベトナム人女性の証言掲載
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392041991.html

新聞社ベトナム人助手 韓国軍取材を「吐き気がする」と拒否
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391947747.htm

韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391823416.html

ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391721175.html

「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」元慰安婦ら会見
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/390876651.html

韓国 ベトナム戦争での「ライダイハン」を史実から消去画策
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/380119290.html
【関連する記事】
posted by hazuki at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。