2014年04月04日

韓国退役軍人 ベトナム戦争の殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊

韓国退役軍人 ベトナム戦争の殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html
http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html?PAGE=2
2014.04.04 07:00

民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行について、本誌は前号、前々号と2度にわたって現地からのレポートを掲載し、大きな反響を得た。

 日本の読者に衝撃を与えたのも無理はない。そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。

 きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の1999年5月、ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が行なった報道だった。

 ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。

 この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。

 同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。

 彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にあるハンギョレ新聞社の前に集結した。

「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。

 だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。

 韓国人ジャーナリストがいう。

「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。新聞や雑誌の印刷を停止させた。さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。

 彼らは“ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だというハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!”という垂れ幕を掲げていた。殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかったのでしょう。そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」

その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。

 6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。その後、暴力行為で4人が逮捕された。

 この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。

 この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している有力な政治団体だ。2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」には、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった。

※週刊ポスト2014年4月18日号


ベトナム戦.PNG
橋下に抗議する元ベトナム戦争の兵士.PNG



民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。
ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行を韓国社会が知るようになったのは、ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌「ハンギョレ21」(1999年5月6日号)が行なった報道。
ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。
「ハンギョレ21」はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。
自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いた。
特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。
2000年6月、ハンギョレ新聞社の前に集結し、「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いた。
集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。
角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していった。
ハンギョレ新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。
社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。
6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。
その後、暴力行為で4人が逮捕された。
暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」(枯葉剤戦友会)。
枯葉剤戦友会は朴クネへの絶対的な支持を表明している有力な政治団体。
ハンギョレ新聞の週刊誌「ハンギョレ21」(1999年5月6日号)が行なった報道が正しいのに、ベトナム戦争での韓国軍の虐殺と陵辱を隠すことは出来ないのだ。
韓国軍は、ライダイハン、ゴダイの大虐殺、ハミの虐殺、フォンニィ・フォンニャットの虐殺をやった。
ベトナム戦争の退役軍人で作られる「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」(枯葉剤戦友会)から支持を得ている朴クネは最低だ。
朴クネはベトナムに謝罪しないだろう。



ライダイハン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3

ライダイハン(越:Lai Đại Hàn、𤳆大韓)とは、大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、「敵軍の子」として迫害された[1]。ライ「𤳆(チュノム表記、U+24CC6、「男」偏に「來」旁[2])」はベトナム語で動物を含む「混血雑種」を意味する蔑称で[1]、ダイハンは「大韓」(朝:대한)のベトナム語読みであるが、卑語であることから「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない[3]。韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(朝:라이따이한)のように発音される。
ベトナムと韓国が1992年に経済交流を再開して後に発生した混血児は「新ライダイハン」と呼ばれる[1]。



ゴダイの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

ゴダイの虐殺(ゴダイのぎゃくさつ、英語: Go Dai massacre, ベトナム語: Thảm sát Gò Dài)とは、ベトナム戦争時の1966年2月26日にベトナムビンディン省で韓国軍が住民380人を虐殺した事件のこと[1]。地名の発音は、むしろ「ゴザイ」に近い。
概要

1966年2月26日[2]、南ベトナムビンディン省タイソン県(ベトナム語版)ビンアン村のゴザイ集落を訪れた韓国陸軍首都機械化歩兵師団(英語版)(猛虎部隊)は住民380人を集めると一時間のうちに一人残らず虐殺した[3][4]。首都師団はゴダイの虐殺と並行してビンアン村の近隣にあるタイヴィン村で1,200人を虐殺するタイヴィン虐殺を行った。



フォンニィ・フォンニャットの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

フォンニィ・フォンニャットの虐殺(フォンニィ・フォンニャットのぎゃくさつ、퐁니•퐁넛 양민 학살 사건[3]、フォンニィ・フォンニャット良民虐殺事件[3]、Phong Nhi and Phong Nhat massacre[5])は、ベトナム戦争中の1968年2月12日に、南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で、大韓民国海兵隊第2海兵師団(青龍師団)(en)によって、非武装の民間人69-79人[6] が虐殺された事件。



ハミの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

ハミの虐殺(ハミのぎゃくさつ、Ha My massacre)とはベトナム戦争中の1968年2月25日に南ベトナムクアンナム省ハミ村で大韓民国海兵隊によって非武装の民間人135人が虐殺された事件。



「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」と元慰安婦ら会見
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/390876651.html

↑↑↑↑↑
売春婦達の会見です。



参考

ベトナム 被害を誇りにする文化なく韓仏に謝罪、補償求めぬ
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/393454659.html

韓国によるベトナム派兵 軍事独裁体制を維持するためだった
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/393287983.html

20歳時に4、5人の韓国兵に暴行を受けたベトナム人女性の証言
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392901703.html

ベトナム戦争 韓国軍「ゴダイの虐殺」を生き残った人の証言
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392705779.html

韓国が国内外で抱える「性」にまつわる不都合な真実!「ベトナム国内での問題には謝罪なし」!
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392701478.html

ベトナム戦争時 韓国軍駐留基地内に「慰安所」的な施設存在
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392282733.html

韓国サイト 韓国軍人に暴行されたベトナム人女性の証言掲載
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/392041991.html

新聞社ベトナム人助手 韓国軍取材を「吐き気がする」と拒否
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391947747.htm

韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391823416.html

ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391721175.html

「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」元慰安婦ら会見
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/390876651.html

韓国 ベトナム戦争での「ライダイハン」を史実から消去画策
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/380119290.html
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