2014年03月19日

新聞社ベトナム人助手 韓国軍取材を「吐き気がする」と拒否

新聞社ベトナム人助手 韓国軍取材を「吐き気がする」と拒否
http://www.news-postseven.com/archives/20140319_246365.html
2014.03.19 07:00

今、韓国では先のベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、にわかに問題視され始めている。

 3月7日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開いた。ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えたのである。

 これまで日本に「謝罪」と「賠償」を求めてきた彼女たちの矛先が自国へと向けられたのだ。

 韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のこと。1973年まで、のべ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣した。当時、アメリカの同盟国として、オーストラリアやフィリピンなどのSEATO(東南アジア条約機構)加盟国も参戦していたが、万を超える兵を派遣したのは、アメリカを除けば韓国だけだった。韓国事情に詳しいジャーナリストがいう。

「朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親である朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が、ベトナム戦争への自国軍の派兵をアメリカのケネディ大統領に提案した。アメリカに擦り寄ることで韓国の軍事独裁政権を認めさせるため、そして戦争特需による外貨獲得が狙いだった」

 韓国軍は、後に激戦地となったダナンに海兵隊第二旅団「青龍部隊」を、クイニョンに首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」を、そしてニンホアに第9師団「白馬部隊」を駐屯させた。彼らが、各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返したのである。ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏がいう。

「当初の韓国軍の主な任務は『ベトコン掃討作戦』でしたが、1968年以降は『農村の無人化作戦』に変わりました。わかりやすくいえば、反米の南ベトナム解放戦線が大半を支配していた農村部を壊滅状態にすることです。

 戦場でベトナム人を見つけたら、女、子供問わず抹殺するのが仕事。彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。女性を見つけたらレイプした。単独ではなく輪姦です。そして用が済めば殺す。もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」

 こうした韓国軍の行為が明らかになるにつれ、反韓感情がベトナム人の間で湧いていったという。井川氏が続ける。

「ベトナム人たちにとって韓国軍は“アメリカの金を目当てにやってきた傭兵”という認識でした。彼らには何の大義もない。それどころか犯罪者集団だという人もいた。支局時代、ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くといったら、“私は行けません。彼らの前に立つだけでも吐き気がする”と拒否されました」

※週刊ポスト2014年3月28日号


ベトナム戦.PNG



慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開いて、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えた。
日本に「謝罪」と「賠償」を求めてきた彼女たちの矛先が自国へと向けられている。
韓国軍はベトナム各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返した。
戦場でベトナム人を見付けたら、女、子供問わず抹殺するのが仕事。
女性を見付けたらレイプ。
単独ではなく輪姦。
そして用が済めば殺す。
韓国軍の行為が明らかになるにつれ、反韓感情がベトナム人の間で湧いて行った。
ベトナム人たちにとって韓国軍は「アメリカの金を目当てにやってきた傭兵」という認識でした。
彼らには何の大義もない。
それどころか犯罪者集団だという人もいた。
ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くといったら、「私は行けません。彼らの前に立つだけでも吐き気がする」と拒否されたとのこと。



ライダイハン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3

ライダイハン(越:Lai Đại Hàn、𤳆大韓)とは、大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、「敵軍の子」として迫害された[1]。ライ「𤳆(チュノム表記、U+24CC6、「男」偏に「來」旁[2])」はベトナム語で動物を含む「混血雑種」を意味する蔑称で[1]、ダイハンは「大韓」(朝:대한)のベトナム語読みであるが、卑語であることから「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない[3]。韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(朝:라이따이한)のように発音される。
ベトナムと韓国が1992年に経済交流を再開して後に発生した混血児は「新ライダイハン」と呼ばれる[1]。



ゴダイの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

ゴダイの虐殺(ゴダイのぎゃくさつ、英語: Go Dai massacre, ベトナム語: Thảm sát Gò Dài)とは、ベトナム戦争時の1966年2月26日にベトナムビンディン省で韓国軍が住民380人を虐殺した事件のこと[1]。地名の発音は、むしろ「ゴザイ」に近い。
概要

1966年2月26日[2]、南ベトナムビンディン省タイソン県(ベトナム語版)ビンアン村のゴザイ集落を訪れた韓国陸軍首都機械化歩兵師団(英語版)(猛虎部隊)は住民380人を集めると一時間のうちに一人残らず虐殺した[3][4]。首都師団はゴダイの虐殺と並行してビンアン村の近隣にあるタイヴィン村で1,200人を虐殺するタイヴィン虐殺を行った。



フォンニィ・フォンニャットの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

フォンニィ・フォンニャットの虐殺(フォンニィ・フォンニャットのぎゃくさつ、퐁니•퐁넛 양민 학살 사건[3]、フォンニィ・フォンニャット良民虐殺事件[3]、Phong Nhi and Phong Nhat massacre[5])は、ベトナム戦争中の1968年2月12日に、南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で、大韓民国海兵隊第2海兵師団(青龍師団)(en)によって、非武装の民間人69-79人[6] が虐殺された事件。



ハミの虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

ハミの虐殺(ハミのぎゃくさつ、Ha My massacre)とはベトナム戦争中の1968年2月25日に南ベトナムクアンナム省ハミ村で大韓民国海兵隊によって非武装の民間人135人が虐殺された事件。




「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」と元慰安婦ら会見
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/390876651.html

↑↑↑↑↑
売春婦達の会見です。



参考

韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391823416.html

ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391721175.html

「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」元慰安婦ら会見
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/390876651.html

韓国 ベトナム戦争での「ライダイハン」を史実から消去画策
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/380119290.html
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posted by hazuki at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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