2014年03月16日

【誇れる国、日本】他人事ではないウクライナ情勢!米の国力低下で中国は強硬姿勢に!

【誇れる国、日本】他人事ではないウクライナ情勢!米の国力低下で中国は強硬姿勢に!

【誇れる国、日本】他人事ではないウクライナ情勢 米の国力低下で中国は強硬姿勢に
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140314/dms1403141749014-n1.htm
2014.03.16

プーチン大統領率いるロシアがウクライナ南部クリミア自治共和国の実効支配を強めるなか、オバマ米大統領の対応が注目されている。クリミア自治共和国では16日にロシア編入の是非を問う住民投票が行われる、弱腰批判もあるオバマ氏は追加制裁も辞さない構えというが…。

 そもそも、ウクライナはかわいそうな国だ。

 1920年代と30年代には大飢饉にさらされ、400万〜1000万人が亡くなったとされる。第2次世界大戦の独ソ戦では激戦地となり、500万人以上の死者を出し、86年にはチェルノブイリ原発事故が発生した。苦難の歴史を刻んできた。

 プーチン氏がソチ冬季五輪で強硬策を取れない時を狙ったように、ウクライナの2月政変は起こった。親ロシアのヤヌコビッチ前大統領が放逐され、親EUの暫定政権が発足した。

 五輪閉幕後の先月末、我慢できなくなったプーチン氏は「ロシア系住民の保護」という名目で軍を急展開し、クリミア半島を掌握した。同半島にはロシア黒海艦隊が駐留しており、絶対に手放せなかったのだ。

 一方、米国は深刻な財政赤字問題や対テロ戦争の疲れから、国防予算を大幅に減額している。もはや、「2つの戦争を同時に戦う」という基本戦略を実行する力はない。シリアで一度決断した軍事介入を見送ったオバマ氏は今回、「プーチン氏には戦略があるがオバマ氏には何もない」(ボルトン元米国連大使)などと、保守派に揶揄されている。

 近年、中国が沖縄県・尖閣諸島をめぐって強硬姿勢を強めたり、韓国が中国シフトを強めている一因として、米国の国力低下の影響がある。

 ウクライナ情勢は日本にとって他人事ではない。

 米国などの制裁発動が効かず、ロシアによるクリミア併合が実現すれば、中国は「東アジアでも力による現状変更が可能だ」と認識し、尖閣諸島への姿勢を強める可能性がある。

 世界情勢は、日本が自ら国防力を高めて、東アジアの平和に責任を持つ時代の到来を示している。米国と協調しながら、集団的自衛権の行使を容認し、憲法改正をすべきだ。国防力は経済力で裏付けられる。日本は経済力を蓄えるべきだ。

 プーチン氏は、天然ガスなどの供給でEUやウクライナを牽制している。エネルギーは強力な武器なのだ。日本は、戦略的視点でも多様なエネルギー源を確保しなければならない。停止中の原発を速やかに再稼働させて、拡大が続く貿易赤字を食い止める必要がある。

 安倍首相は、自信を持って大局的見地に立ち、誇れる祖国日本の再興のために頑張ってほしい。

 ■元谷外志雄(もとや・としお) 石川県小松市生まれ。信用金庫勤務後、27歳で注文住宅会社を創業し、その後、ホテルやマンション、都市開発事業などを手がけるアパグループを一代で築き上げる。同グループ代表。国内外の多くの要人と交友関係があり、政治や経済、軍事に関する知識も豊富で、社会時評エッセーも執筆する。著書に「誇れる祖国『日本』」(幻冬舎)、「報道されない近現代史」(産経新聞出版)など。


KGBプーチン.PNG



ロシアがクリミア自治共和国の実効支配を強める中、オバマの対応が注目されている。
クリミア自治共和国では本日16日にロシア編入の是非を問う住民投票が行われる。
ウクライナは、1920年代と30年代には大飢饉にさらされ、400万〜1000万人が亡くなったとされる。
これをホロドモールと呼ぶようです。
「ホロドモールは1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉。
ウクライナ人たちは強制移住により、家畜や農地を奪われたために400万人から1,450万人が死亡した。
また、600万人以上の出生が抑制された。
この大飢饉が当時のソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンによる計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていた。
2006年にウクライナ議会は、「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定した。」Wikiより抜粋。
更に、スターリンによる迫害については、下記のようになります。
「第二次世界大戦中、クリミアタタール人の多くが赤軍に参加させられたが、1944年には、スターリンによりクリミア・タタール人は対独協力の嫌疑をかけられ、全住民が中央アジアに強制移住を余儀なくされた。強制移住の過程で、住民の多くが命を落とした。この出来事は「クリミア・タタール人追放(Sürgün)」として、現在でも、クリミア・タタール人の間で広く記憶されている。」Wikiより抜粋。
ウクライナ情勢は日本にとって他人事ではないようです。
米国などの制裁発動が効かず、ロシアによるクリミア併合が実現すれば、中国は「東アジアでも力による現状変更が可能だ」と認識し、尖閣諸島への姿勢を強める可能性がある。
やはり、集団的自衛権の行使を容認し、憲法改正するしか手立てはないのでしょうか。
停止中の原発を速やかに再稼働させる案には私も賛成です。
今は、原発について語らないことにします。



ホロドモール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB

ホロドモール(ウクライナ語: Голодомо́р[1];英語: Holodomor, Famine Genocide)は1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉である[2]。

主な地域は以下

ソビエト連邦のウクライナ社会主義ソビエト共和国
カザフスタン共和国
現ロシア連邦のクバーニ、ヴォルガ川沿岸地域、南ウラル、北シベリアなど

ウクライナ人たちは強制移住により、家畜や農地を奪われたために400万人から1,450万人が死亡した[3][4]。また、600万人以上の出生が抑制された[4]。

この大飢饉が当時のソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンによる計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていた。2006年にウクライナ議会は、「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定した[5]。また、米英など西側諸国においても同様の見解が示されており、ソビエト連邦による犯罪行為であるとしている[6]。

アルメニア人虐殺、ホロコースト、ポル・ポト派による虐殺、ルワンダ虐殺等と並んで20世紀の最大の悲劇の一つ[要出典]である[7]。



クリミア・タタール人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA

クリミア・タタール人(クリミア・タタール語: Qırımtatar、ウクライナ語: Кримські татари、ロシア語: Крымские татары)は、クリミア半島に起源もつテュルク系民族である。 クリミア・タタール語を母語とし、スンニ派ムスリムが大半を占める。

クリミアの原住民族であることを強調して「クルムル」(クリミア・タタール語: Qırımlı、ロシア語: крымцы;意訳:「クリミア人」「クリミア出身者」)という名称で言及されることもある。

人口
1926年
2001年

現在では、ウクライナのクリミア自治共和国内に25万人のクリミア・タタール人が居住しているとみられる。

また、トルコ共和国には、アンカラやエスキシェヒルを中心に、旧クリミア・ハン国からの移住者の子孫が数百万人居住しているとされ、ルーマニアとブルガリアにも同様の住民が約2万7千人住んでいる。

また、スターリンによる強制移住政策の結果、ウズベキスタンを初めとする中央アジア諸国にも約15万人の住民がいる。
歴史

クリミア・タタール人は、13世紀から18世紀にかけてクリミア半島を中心に南ロシアを支配したクリミア・ハン国のテュルク系ムスリム住民を起源とする。

15世紀から18世紀にかけてほぼ毎年、リトアニア大公国とポーランド王国の支配下に置かれたウクライナへ来襲し、ウクライナ人の奴隷狩りを行った。

1768-1774年の露土戦争の結果、1783年に、クリミアはロシア帝国に併合され、旧クリミア・ハン国の有力者層の多くは、オスマン帝国領内に亡命した。また、ロシア人、ウクライナ人をはじめとする移民がクリミアに押し寄せたため、19世紀の初めには、クリミア・タタール人はクリミア半島での少数派となる。
クリミアにおけるクリミア・タタール人の人口(1939年)
クリミアにおけるクリミア・タタール人の人口(2001年)

19世紀末には、旧ハン国の貴族階級出身のイスマイル・ガスプリンスキーが、クリミアのバフチサライで、西洋式教育の普及運動(ジャディード運動)を開始し、クリミア・タタール人から多くの民族知識人が輩出された。

1917年のロシア革命時には、ノーマン・チェレビジハンや、ジャフェル・セイダフメトら民族派知識人により、1921年に「クリミア共和国」の設立が宣言されるが、ソビエト政権がこれを解散させてクリミア自治ソビエト社会主義共和国を設立させた。

第二次世界大戦中、クリミアタタール人の多くが赤軍に参加させられたが、1944年には、スターリンによりクリミア・タタール人は対独協力の嫌疑をかけられ、全住民が中央アジアに強制移住を余儀なくされた。強制移住の過程で、住民の多くが命を落とした。この出来事は「クリミア・タタール人追放(Sürgün)」として、現在でも、クリミア・タタール人の間で広く記憶されている。

スターリンの死後、1967年にクリミア・タタール人への追放措置は解除され、クリミアへの帰還運動が始められた。1991年には、ムスタファ・ジェミーレフら民族活動家の運動により、ソ連邦内の全クリミア・タタール人から代議員が選出され、最高意思決定機関であるクリミア・タタール民族大会(クルルタイ)が開催され、クリミアへの帰還に向けての努力が進められた。

現在、約25万人のクリミア・タタール人がクリミアへの帰還を果たし、クリミアの全人口の1割を占めるまでになったが、移民の生活基盤の整備、ウクライナでの政治参加の方法等、移住後の問題は残っている。


Björk - Declare Independence (Official Music Video)




参考

モスクワで5万人反戦デモ=「編入認めず」「許して」
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391569282.html

クリミア自治共和国議会がウクライナからの独立を宣言!「ロシア編入は犯罪」と住民投票ボイコット!
http://hazukinoblog.seesaa.net/article/391183425.html
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posted by hazuki at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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