2012年07月05日

領土問題をめぐり、日本が各国から挟み撃ちに=中国

領土問題をめぐり、日本が各国から挟み撃ちに=中国
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0705&f=politics_0705_020.shtml
2012/07/05(木) 15:46

尖閣諸島(中国名:釣魚島)の領有権を主張する活動家が乗った台湾漁船が4日、5隻の巡視船に守られ、尖閣諸島を一周した。同漁船は尖閣諸島から600メートルの地点まで接近した。中国網日本語版(チャイナネット)は5日、「日本は中国、ロシア、韓国、北朝鮮のいずれとも領土係争を抱え、挟み撃ちにあっている」と報じた。以下は同記事より。
■「尖閣諸島」に関する他の記事 - サーチナ・ハイライト
  北方領土で日本と係争中のロシアは、メドベージェフ首相が国後島に上陸し、日本を刺激した。
  地図を広げると、日本の周辺にはロシア、韓国、北朝鮮、中国という隣国が存在するが、4カ国との間に領有権を巡る争いが存在することが分かる。北ではロシアとの北方領土問題が泥沼化しており、西では韓国や北朝鮮と竹島(韓国名:独島)の領有権を巡り対立しており、南では尖閣諸島問題が深刻化している。日本に滞在する中国人学者の庚欣氏は、「日本は島の領有権を巡り、各国から挟み撃ちにあっている」と語った。(編集担当:米原裕子)



欧米人の奴隷に成り下がるのを助けてあげたのに、この連中は感謝の気持ちどころか、他所様のものを取ろうとする連中ばかりです。
それどころか、第2次世界対戦で、日本人の一般人を強姦及び虐殺したのは、朝鮮人と中国とロシアですよ。
日本は、軍人とは戦いましたが、一般人には手を出していないのです。
世界一、軍律が厳しい軍隊だったのですよ。



軍律審判
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%BB%8D%E5%BE%8B%E5%AF%A9%E5%88%A4&oldid=42914261

重慶政府の中華民国戦時軍律(出典:アジア歴史資料センター) [編集]

第一條 戦時軍律は軍人地方団体人員公務員の戦時犯罪者に対し之を適用す本條身分に
    属せざるものは此の限りにあらず
第二條 第六條及び第十六條の罪を犯すもの亦本軍律を適用す
第三條 命令を履行せず守備地を放棄し軍事上重大損失をなすものは死刑に処す
第四條 戦いに臨み退却し或いは故意に前進せざるものは死刑に処す
第五條 敵前に於いて命令に反抗し指揮に従わざるものは死刑に処す
第六條 敵に降参するものは死刑に処す
第七條 軍事上の反乱行為を主謀或いは指示するものは死刑に処す
第八條 抗戦を妨害し後方を攪乱するものは死刑に処す
第九條 抗戦の妨害を企図し群衆を扇動し軍心を動揺せしむるものは死刑に処す
第十條 兵を利用し民衆を害するものは死刑に処す
第十一條 銃器弾薬其の他重要軍事用品を携帯逃亡するものは死刑に処す
第十二條 掠奪強姦するものは死刑に処す
第十三條 収賄行為者は死刑に処す
第十四條 虚報を以て軍費を受領するものは死刑或いは無期徒刑又は十年以上の有期徒刑に処す
第十五條 左の一に該当するものは無期徒刑に処す
    1.故なく指定地点に到達せず或いは配置点を離れるもの
    2.敵情を虚報し指導者を困惑するもの
    3.依命前進中故意に遅延するもの
    4.敵情を軽視し適当の処置をなさざるもの
    5.戦果を虚報し敗戦の報告をせざるもの
    6.作戦或いは作戦命令を履行せず任務達成せざるもの
    7.銃器弾薬軍糧其の他主要軍用品の保管を怠り之を紛失損傷せるもの
    8.接戦地域に於いて当地軍指揮官の許可なく機関の所在を変更するもの
第十六條 抗戦期間に於いて軍需品の供給を履行せず又は国家との契約に違反するもの
    は三年以上十年以下の有期徒刑に処す 
第十七條 故なく傷病兵の抛棄せるものは七年以上の有期徒刑に処す
第十八條 軍用船航空器具を営利の目的を以て個人に供給せるものは五年以下の有期徒刑に処す
第十九條 本軍律を犯したるものは作戦区に於ける戦区司令官より現行犯の処罰を為す
    外は命令を経て処罰したる後報告するものとす
第二十條 凡そ軍法職権機関は左の順序により中央最高機関の許可を経て執行す
    1.軍人は陸海空軍審判法による
    2.地方団体員及び公務員は職級を軍人の階級に比較し前項の規定を準用す
    3.前二項以外の犯人は軍法官単独に之を審判す
第二十一條 各戦区に於ける犯罪者は前条規程に依り高等軍法会議を組織す其の他は戦区司令長官の宣言命令に依り判定したる報告を以て中央最高軍事機関適時審理処理す
第二十二条 本軍律は公布の日より之を施行す
 


中国が捏造している南京大虐殺は、通州事件を南京大虐殺と話をすり替えています。


通州事件
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=43046227

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民に対する虐殺を指す。

通州は、北平(現:北京市)の東約12kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、冀東防共自治政府が置かれていた。また、北京議定書に基づき、欧米列強同様に日本軍が邦人居留民保護の目的で駐留していた。
1937年7月7日に中国軍による駐留日本軍(この部隊は元々、通州に配置されようとした際に、梅津美治郎陸軍省事務次官が京津線から離れた通州への配置は北京議定書の趣旨では認められないと強く反対したために代わりに北京西北の豊台に配置された部隊であった[1])への銃撃に端を発した盧溝橋事件が勃発し、まもなく停戦協定が結ばれたが、7月25日に再び日本軍への銃撃事件が引き起こされ(廊坊事件)、続く7月26日にも日本軍への攻撃が繰り返された(広安門事件)。7月28日、日本軍は華北攻撃開始。7月29日、約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。
冀東防共自治政府保安隊が通州事件を起こした原因としては以下の3つの説が存在している。
日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎を誤爆したことへの報復だったとする説[2](ただし、誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している[3]) 。
中国国民党軍が冀東防共自治政府保安隊を寝返らせるため、ラジオで「日本が大敗した」と虚偽の放送をおこない、冀東保安隊がそれに踊らされたという説[3][4]。
1986年に公表された冀東保安隊長・張慶餘の回想録や、中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、張慶餘、張硯田の両隊長は、中国国民党第29軍とかねてから接触。「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、中国国民党と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものとする説[5]。
また、当時大使館付陸軍武官補佐官であった今井武夫は、「もっともこれは単に通州だけに突発した事件ではなく、かねて冀察第二十九軍軍長宋哲元の命令に基づき、華北各地の保安隊がほとんど全部、29日午前2時を期して、一斉に蜂起し、日本側を攻撃したものである」と述べている[6]。
主犯の張慶餘は通州事件後は中国国民党軍に属し、最終的に中将まで昇格している[7]。
なお、中国側では「抗日蜂起」とも言われる。

影響等 [編集]

「通州虐殺事件」
日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が同盟通信を通じて日本全国に報道されると、日本の対支感情は著しく悪化した[8]。 これは、既に7月7日生じたあと現地で解決されていた日本軍と国民党の武力衝突につき、感情論に任せたなし崩し的戦線拡大を招いた。
近年ではこの事件に対する報道は日中両国で皆無であり、歴史の闇に消えようとしている。中国政府公式対外宣伝刊行物の『南京大虐殺写真集』の目次では『盧溝橋にて「北支事変」勃発、日本は華北を侵略する。日本軍は第二次上海事変を起こし、上海へ出兵する。』と述べており、この事件については一切触れられていない。
戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、弁護団は通州事件について、外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。

生存者の証言・記述 [編集]

九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います。」[9]。
吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された者が、中国人看護婦により自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。父は医院を開業していたが、保安隊が襲う直前に遺書を書き中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという。[10]外部リンク[11]には家族の実名が出ている。


支那 通州事件の記録写真と南京大虐殺の捏造.

通州事件の真実 01 Sさんの体験談 1-5



北方領土をロシアが侵略された時,そこに住んでいた日本人はどうなったのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129058197

北方領土をロシアが侵略された時,そこに住んでいた日本人はどうなったのですか?

アメリカ軍が来ていないと知ると、ソ連軍は8月28日に択捉島に、9月1日に国後島に上陸した。さらに千島列島に含まれず北海道根室半島の延長である歯舞諸島、色丹島にも、ソ連軍はそれぞれ9月1日、4日に占領した。歯舞諸島占領が行われた9月4日は、降伏文書正式調印の二日後である。
樺太および、千島の戦いでは、日本軍将兵約3千名、民間人約3700名の命が奪われた。このほとんどが8月15日の終戦以降のソ連軍侵攻によるものである。さらに捕虜にされた樺太約1万8千名、千島約5万名の日本軍将兵は本土に帰ると騙されて、シベリアなどに送られた。
スターリンは14日の時点では捕虜のソ連領移送は行わないと言っていたのだが、北海道占領を断念したとトルーマンに回答した21日の翌日、日本軍捕虜50万人のシベリア移送の極秘命令を出している。ロシアの研究者の多くが、これは北海道占領断念の代償だったとしている。
もし、樺太、千島での日本軍の頑強な抵抗がなければ、北海道北部はソ連に占領されていた可能性がある。そうであれば満州や樺太で起きた民間人虐殺が北海道でも繰り返されただろう。
そして、北海道北部は北朝鮮や東ドイツのように共産主義独裁政権が支配していたであろう。樺太と千島の防衛に一命を捧げた日本軍将兵3700人と、その後のシベリア抑留に苦しんだ約7万の将兵に心からの追悼と感謝を意を捧げたい。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog203.html
ラベル:領土問題
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